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地震について

のりくんです。
忘れてしまったかも知れませんが地震の話の続きです。
公園に集まった数人で会社へ向かいました。家族も残すわけには
行かないので、一緒です。
出向者の日本人は一人軽傷者がいるものの全員無事が確認されました。
現地従業員の方も全員無事でした。
我々日本人は情報の入手方法が限られるので、周囲の様子が
わからず、大変怖かったです。
その日は、住んでいるマンションに帰る気がせず、
バスをチャーターしてその中で寝ました。今問題となっている
エコノミー症候群などという言葉は無かった時代だと思います。

ここで一服。
紫ボタンが咲き始めました。
IMG_3883.jpg

その後、ホテルが予約できたので、全員でホテルに住みました。
家族は日本への帰宅命令が出たので、送って行き、我々は
直ぐに台湾へ戻りました。
住んでいるマンションへ戻ると、流し台に残っていた
残飯にウジが湧いていたという記憶が残っています。
その後、余震で眠れない日々が数か月続きました。・・・続く

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地震について

のりくんです。
地震の話の続きです。
もう駄目かと思った瞬間、
隣の部屋で娘と寝ていた妻が「ぎゃ~」とわめきましたが、
身動きが出来ませんでした。30秒程度の揺れだったのでしょうが、
体感的には無限の揺れでした。
揺れが一段落して、トイレに行きたかった事を思い出し、
とりあえず放尿。
その後、妻と娘の無事を確認し、
退路を確保しようと玄関扉をあけにいきました。
娘は当時まだ1歳だったので、すやすやと寝たままでした。
激しい「ゆりかご」だと思うのですが。

ガラスが散乱していたのに知らずに素足で歩いていましたが、
気が張っているせいか、怪我ひとつしませんでした。

ここで一服
敷地内のキランソウ
IMG_3745.jpg


同じマンションに住んでいる同僚と公園に退避しました。
空気が淀んでいる台中で初めて多くの星が見えたのが印象に
残っています。
付近に住んでいる、同僚も公園に集まり始めましたが、全ての人の
無事を確認できず、夜明けを待って会社へ向かいました。
(言い忘れましたが、私達家族は仕事の関係で台湾に1994~2000年
まで駐在していました。)

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地震について

のりくんです。
あまり触れたくなかったのですが、熊本地震が凄い事
になっています。
亡くなられた方々には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
また、被害にあわれた方々は無理せず無事であることを心
より願っています。
東日本の人たちは、私たち含めて被災しており、その時の事
を思い出してしまいます。
私たち家族はそれ以前に、台湾地震を経験しています。
そちらの方が印象が強く残っています。異国の地での被災、
自分がそんな目に合うとは思っていませんでした。
世紀末となる1999年9月21日の午前1時47分にそれは突然
襲って来ました。ドカ~んという音と共に、大きなゆれが発生しました。
大陸からミサイルが飛んで来たのかと思いました。
マグニチュード7.6/震度7の台湾地震でした。

ここで一服
IMG_3602.jpg


当時の台湾の車には、盗難防止ブザーが
ついている車が多かったのでファ~ンファ~ンと五月蠅かったです。
トイレに行こうと思っていたので、目は覚めていました。隣に息子が
寝ていたので、思わず覆い被さりました。
上から崩れるか、下が崩れるか、死を覚悟した瞬間でした・・・

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のりくんとその家族

Author:のりくんとその家族
古民家の活用を目指して日々努力している家族の日記です。

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